大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)624号 判決

上告人

長谷川勝彦

右訴訟代理人弁護士

森田和明

被上告人

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

小山田才八

被上告人

大阪府

右代表者知事

中川和雄

右当事者間の大阪高等裁判所平成二年(ネ)第二〇〇号損害賠償請求事件について、同裁判所が平成二年一一月二〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人森田和明の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張も失当である。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄)

(平成三年(オ)第六二四号 上告人 長谷川勝彦)

上告代理人森田和明の上告理由

第一点、原判決は民事訴訟法第三二三条第一項の解釈適用を誤っているものである。

原判決は、その理由中二の1項第二段において。「しかし、右甲号各証の記載内容及び控訴人本人の供述は、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので、真正な成立が推定される(証拠略)(年金支給原簿)の記載内容に照らして到底措信できないばかりでなく、」とし、さらに同項第三段において、「かえって、前記当事者間に争いのない事実に、(証拠略)原本の存在及び成立に争いのない(証拠略)」とし、また同項第四段において、「現に、同年九月三日に第一回の支給を受けたのを始め、以後昭和三九年一〇月二四日まで継続してその支給を受けていた(〈証拠略〉)。」としている。

以上の通り、原判決は、(証拠略)を最も重視したうえ、同証拠書類をもって上告人の主張を根拠のないものとし、被上告人の主張を正しいものとする判断を行なっている。

しかるに推定されるべき公文書の範囲については、民事訴訟第三二三条第一項には、「其ノ方式及趣旨ニ依リ官吏其ノ他ノ公務員カ職務上作成シタルモノト認ムヘキトキ」は真正に成立したものと推定される、とされている。

ところで一般的には、公文書とは、官公署の用紙を用い、作成者である官公署名あるいは作成者の官職氏名を明確に記載し、契印その他に官公署の庁印を押捺するのが原則である、とされている。そしてその例示としては、文書に、郡長もしくは県令の奥書があり、官公署の契印があるとき(水戸地方裁判所大正七年一〇月二二日新聞一五二三号二二頁)、戸長および副戸長の連署奥書があるとき(大審判大正一二年一一月二〇日評論一三巻民訴一三七頁)が一般にあげられている。

そこで(証拠略)をみるに、「城東放出郵便局」の官公署名が記載されているほかは、いずれの証拠書類にも、官公署名、公印、作成担当者の官職名及びその職印のいずれも存在していない。

かかる文書を安易に公文書であると判定したうえ、真正に成立したものと推定せんとする原判決の判断は、明らかに民事訴訟法第三二三条第一項の解釈適用を誤ったものである。

さらにまた、右のとおり何等の根拠もなく前掲文書を公文書としたうえ、「昭和二九年九月三日に第一回の支給を受けたものである」として、したがって上告人が、昭和三〇年一〇月に障害年金の支給を請求したという主張は、到底措信できないという判断を下しているが、かかる判断を下した原判決は、明らかに理由不備であるといわなければならない。

第二点、原判決には、左のとおり理由齟齬ないし理由不備がある。

原判決は、理由中第二項の2において次ぎの通り判示している。「かえって、(証拠略)の記載内容は非常に具体的かつ詳細であり、到底偽造あるいは内容に作為がなされたことを伺わせるものとは認められない。また、(証拠略)によれば、(省略)、ところ、このような各文書の性質、形状、その内容等に照らして考えれば、(省略)の各文書を偽造したものとは到底認め難いし、」としている。そして、偽造を「認めるに足りる的確な証拠はない」としており、さらに、理由中第二項の1の第二段において「控訴人の主張にかかる支給請求書や診断書は何ら提出されておらず、他に右控訴人の主張事実を認めるに足りる証拠もない。」としている。結局原判決は、上告人の主張することを示す支給請求書や診断書が上告人から提出されていないから、前記(証拠略)は偽造とはいえないと判断していることになる。

しかし、原判決は右のとおり、(証拠略)では偽造文書ではないという判断を下しているが、次のとおり(証拠略)には書面の性質のうえ、その内容からみて記載間違いということ自体がおかしく作為的な虚偽の存在することが明らかな部分がある。また、記載内容等において明らかに不自然と思われる部分があり、その結論づけには明らかに理由不備が存し、論理の飛躍が認められるものである。

1、(証拠略)の一について

イ、鉄治の生年月日が違っている

ロ、本人の署名ではない

2、(証拠略)の二について

資格取得年月日の記載がない

3、(証拠略)の三について

イ、印鑑部分が破棄されている

ロ、鉄治は印鑑登録を行ったことがない

4、さらに(証拠略)をみると、同書類の審査請求において資料とされたと思われる障害年金請求書であるが、同書類には(証拠略)らしきものは添附されていない。また、(証拠略)は、(証拠略)の写真であるが、(証拠略)だけは、(証拠略)に比べ紙質が新しいもののようである。(証拠略)に見られる綴穴が、その添附されている位置から見て当然なければならないのにこれが存在しないことからして、後日作為的に添附されるに至ったものであることが一見して明らかである。

5、乙第二号証(略)について

イ、生年月日が異なる

ロ、原判決は、「診断書の記載内容は非常に具体的かつ詳細であって到底偽造あるいは内容に作為がなされたことを伺わせるものとは認め難い」という。

しかし上告人の供述調書によれば、診断書の内容は現実の病状と著しく異なっている。しかも鉄治は、国立大阪病院にて診察治療を受けた事がない。特に昭和二九年三月当時は、鉄治の病状は一進一退で、自宅近くの個人病院で治療内科系の医師に治療を受けており、歩行困難であり、絶対安静の状態である。しかも病院までは自宅から三〇キロもあり、とうてい同病院の診察治療を受けることは不可能であったのである。かかる状態では、国立大阪病院の診断書が存在すること自体が不自然なのである。また、国立大阪病院の精神神経科の医師の診断を受けるということ自体が不自然である。

ハ、身体的特徴が異なる

鉄治は現実には、当時身長一六七・八センチ体重八〇キロ前後であったのである。

6、乙第三号証(略)について

(証拠略)によれば、障害年金に添附されるべき印鑑票は、その様式が規定されている(様式第一三号)が、それと(証拠略)とは全く異なっているのである。

7、乙第五号証(略)について

イ、厚生年金保険の被保険者であった期間について、同書面では、資格取得二二年九月一日、資格喪失二九年三月二六日とされている。しかるに年金額の計算の基礎としては、この資格享受の期間が最も重要である。ところが(証拠略)はその点の記載が間違っているのである。

すなわち、(証拠略)によれば、原判決(理由中第二項の1第四段)が示す通り、昭和一七年六月一日から同二〇年九月二〇日まで、および同二二年九月一日から同二九年三月二六日までの期間である。この点で(証拠略)は虚偽の内容を持つものであり、当然間違えるはずのない点での間違いである。

ロ、年金証書の記号番号が異なる

阪障一一一九〇となっているが、真実は〇三〇〇一一一九〇である。これも当然間違えるべきでない点の間違いである。

8、(証拠略)については、次の点が問題である。

イ、鉄治の生年月日が異なる。

ロ、(証拠略)と同じく証書記号番号が異なる。

ハ、一見して印鑑欄の記載が不自然である。

ニ、鉄治が昭和三九年一〇月二四日まで継続してその支給を受けていた旨記載されていますが、鉄治が死亡したのは昭和四〇年一月一九日であり、同年一月分まで支給されていたことは明らかであり、それ以前の段階で支給が停止していたとするのは、あまりにも不自然であり、その記載自体が不自然である。

原判決は、以上のように明らかに疑問と思われる点があるにも拘らず、安易に公務員が職務上作成する形式の文書である点をとらえて、各文書を「被控訴人大阪府の職員が、偽造したものとは到底認めがたい」としているが、以上の問題点については何らの理由も示しておらず、原判決には理由不備の違法がある。

第三点、原判決は、昭和二九年三月当時施行されていた厚生年金保険法(以下、旧法という)第三六条第一項の解釈適用を誤った違法がある。同時に、理由不備の違法がある。

原判決は、理由中第二項の4において「してみると、鉄治は、新法による障害年金を受給していたものではなく、昭和二九年三月二七日にした障害年金の支給請求に基づき、同年四月から旧法による障害年金の支給を受けていたものであり、」とする。

しかし当事者間に争いのない事実として、鉄治は昭和二八年一月一日に脳内出血で倒れたものであるところ、旧法第三六条第一項の解釈としては障害年金の受給要件としては、三年の経過を必要とするものである。したがって昭和二九年三月二七日に障害年金を請求するということはあり得ないことだったのである。この点からも、同日付による障害年金証書が存在するということ自体が、同文書が偽造文書であることを如実に示すところである。原判決は、右の旧法の規定の解釈を誤り、その結果以上の点を見過ごした理由不備の違法があるといわなければならない。

すなわち、受給要件については、昭和二九年三月当時適用のあった旧法では、「診察ヲ受ケタル日ヨリ起算シ三年以内ニ治癒シタル場合又ハ治癒セザルモ其ノ期間ヲ経過シタルル場合」とあり、さらに昭和二九年五月一日施行の新法では、「はじめて医師の診療を受けた日から起算して三年を経過した日(その期間内にその傷病がなおった場合においては、そのなおった日)」とし、そして、現行法第四七条第一項は、その期間を「経過した日、その期間内にその傷病がなおった日(その症状が固定し治療の効果が期待できない状態に至った日を含む)とされている。

以上の法律の改正の経過から旧法の条文の文言解釈を行なうと、まず第一に、新法では、括弧書きの形にて、「(その期間内にその傷病がなおった場合においては、なおった日)」として、とくになおった場合について受給要件としての時期を特定し「なおった日」という文言を新たにいれている。このことは反対に、旧法においては、なおった場合については、そのなおった日をもって受給要件としての時期とするのではなく、なおった場合にもあくまでも三年の経過を待たなければならないことを意味しているのである。

第二に、現行法では、「なおった日」について、これもまた括弧書きの形にて、「(その症状が固定し治癒の効果が期待できない状態に至った日を含む)」としている。このことから旧法を解釈すると反対解釈して、「治癒」とは文字通り疾病前の健康な状態に戻ることをいい、症状固定を含まないものと解されるのである。

したがって旧法によれば、昭和二八年一月に発病した鉄治が、昭和二九年三月に障害年金の裁定請求をするということはあり得ないことである。

ところで、「なおった」という文言の解釈については、(証拠略)の新法施行にあたっての「厚生事務次官から各都道府県知事宛に出された通知」によれば、三一二頁の下段ハに「前掲の廃疾の程度比較表をみてもわかるように、傷病がなおらない者には、すべて年金を支給することとなった」とされており、他方同頁下段の2には「障害手当金は、傷病がなおった場合のみ支給されることとなり」とされている。以上のことから文言の意味を理解すると、症状固定については、傷病がなおらなかった場合に含まれると解釈するのが本来であり、反対に、「なおった」とは文字通り疾病前の健康な体の状態に戻ることをいうと解釈するのが自然である。

原判決が理由中第二項の3において「しかし、障害年金の受給要件としての「治癒」とは、文字通り疾病前の健康な身体の状態に戻ること、すなわち完治することを言うのではなく、医学上それ以上の治療効果が期待できない状態に至ったことを指すのであって、」といっているのは、法令の解釈適用を誤ったものであると言わなければならない。

第四点、原判決には、次のとおり理由不備がある

原判決は、理由中第二の1第三段および第四段において、(証拠略)をもって、鉄治が、昭和二九年三月二七日、厚生大臣に対し、障害年金の支給を請求したと判示している。

しかし、右判決には鉄治の請求にかかる事実について、鉄治という人物の同一性の認定行っておらず、容易に判示した理由不備が存するのである。すなわち、まず(証拠略)の印鑑登録証明書らしき書類は、それによって証明されるべき印鑑の印影部分を切り取られている。したがって同印鑑証明書らしき書類からは鉄治の印鑑による印影がいかなるものであるかは窺い知れないところである。さらに、(証拠略)の印鑑欄に添付された印影らしきものを示す紙切れ端は、誰によっていかなる時期にそしていかなる用紙から切り取られて張り付けられたものかまったく証明されていない。したがって(証拠略)には、請求者として長谷川鉄治の氏名が記載されているが、何人によって作成されたものかはまったく不明である。すなわち同請求書はただちには、上告人の父親である鉄治の請求の事実を示すとは断定できないということができるのである。とくに生年月日の記載が鉄治のそれと異なっていることからして同書面に記載された長谷川鉄治という人物が上告人の父親と同一であるという点を疑わせる決定的要因となる。

(証拠略)の診断書についても、鉄治に対する診断結果の診断書であることはいかなる証拠によっても証明されていない。生年月日のことなる人物が、上告人の父親の鉄治と同一人物であるとはいえないのである。鉄治に対する診断結果の診断書であるということは、同診断書が、(証拠略)の請求書の添付書類であり、そして同請求書が、上告人の父親である鉄治の請求事実を示すものであることが証明されない限り認められない。しかし同診断書が同請求書の添付書類であることを示す証拠は存在せず、また同請求書については、前述の通りであるから同診断書も上告人の父親である鉄治に対する診断書であるのかを示す証拠は何等存在しない。

(証拠略)は、前述の通り、鉄治名下の印影が鉄治の印鑑の印影である点が、何ら証明されていない以上、鉄治の印鑑票であることはいかなる点からも証明されていない。

(証拠略)については、同書類が(証拠略)の請求書の添付書類である点は、いかなる証明もされていない。したがって、同書類の存在から鉄治の請求を証明することはできない。

(証拠略)は、長谷川鉄治という氏名は記載されてはいるが、上告人の父親である鉄治との同一性を示す証拠は何らない。とくに(証拠略)記載の生年月日が鉄治のそれと異なっている点からも、同一性に疑いの余地を充分にいれることができる。

以上の通り、原判決が援用する証拠を持ってしては、鉄治が昭和二九年三月二七日に障害年金請求を行ったという事実は認めるに足る証拠はなく、理由不備であり、事実の認定に大きな飛躍があるといわなければならない。

第五点、原判決は、昭和三二年の改正法の附則一六条一項但書の解釈適用を誤っている。

原判決は、理由中第三項四段において、「右但し書に定める「そのものの遺族が第五十八条の遺族年金の支給を受けることができるとき」とは、「昭和二十九年五月一日において、現に旧法による年金たる保険給付を受ける権利を有する者」で、(省略)例えば、旧法による一級障害年金受給権者である被保険者が昭和二九年五月以降において在職中死亡した場合等のみをいうのであって」と判示し、さらに「してみると、旧法による二級の障害年金の受給権者であり、昭和四〇年一月一九日に死亡した鉄治については、昭和三二年の改正による新法五八条の適用はなく」としている。

しかし新法五八条は、「遺族年金は、被保険者又は被保険者であった者が左の各号の一に該当する場合に、その者の遺族に支給する。」と定め、その四号に「別表第一に定める一級又は二級の疾病の状態にある障害年金の受給権者が死亡したとき」と定めている。

この第四号に定める「一級又は二級」という概念が新法のそれを指すとすれば、原判決が例示をしていっている「旧法による一級障害年金受給権者」もまた右の第四号に該当しないことになるが、この場合のみなにゆえ新法附則一六条一項但し書にいう「五八条の遺族年金の支給を受けることができるとき」に該当することになるのか全くその理由が示されておらず、論理の飛躍がある。

旧法による一級障害年金受給者についても右但書の適用があるとするならば、旧法二級の障害年金受給権者にその適用がないという理由はない。

さらに右但書にいう「第五八条の遺族年金の支給を受けることができるとき」という文言は、原判決がいうようなとくに旧法において何級の遺族年金受給権を有していたかどうかという点を問題にしてはいない。文言解釈をすれば、旧法において一級ないし二級の障害年金の受給者であったかどうかにかかわりなく、新法第五八条の遺族年金の支給を受けられる要件が具備されている場合というように解釈することができる。

したがって、旧法において一級の障害年金受給者でなかった鉄治の場合にも、新法施行当時新法における二級の障害年金の受給権者としての認定を受け得るだけの要件がある場合には、右但書の適用があるということができる。

ところで但書の解釈であるが、附則一六条の精神は、新法の施行にあたって、旧法時代との関係において時間的経過による不平等を除去し、もって、保護の拡大をはからんとする点にある。ところで附則一六条一項本文は、現に旧法により保険給付を受ける権利を有している者について規定し、その点からすれば、旧法により現に遺族年金を受ける権利を有していない場合には、その反対解釈により、権利を取得できなくなるとも考えられるところから、法は、但書の形式にて、権利を享受し得る道を開き、新法五八条により受給権者となり得る場合にも権利を取得し得ることを明確にしたのである。

法は、保障の範囲を拡大しているにも拘らず、原判決は、保障の範囲を狭く解釈し、法の精神を踏みにじるものであり、明らかに法令の解釈適用を誤った違法がある。特に、同但書が憲法一四条の平等の原則を実質的実現をめざすものであることからすれば、同法の解釈適用の誤りは、ひいては憲法一四条一項に違反しているということができる。

さらに原判決は、新法附則一六条三項には、五八条四号が掲げられていないのであるから、旧法にある障害年金を受給していた本件においては、同号の適用はないと判示している。

しかし附則一六条三項は、同条一項本文の、従前の障害年金の例によって支給する場合の適用条文を明らかにするにとどまり、同法附則一六条一項但書に基づき、新法五八条の規定によって遺族年金が支給される場合を排斥する規定ではない。反対に右但書は同但書の適用が、新法附則一六条三項によって障害年金と見做される場合に限定しているわけではない。

したがって、いずれにおいても原判決はその法令の解釈適用を誤っているのである。

第六点、原判決の判示には、次のとおり、憲法一四条一項号および同法第二五条一項の違反がある。

鉄治は、昭和三〇年一〇月に新法による障害年金の支給を請求し、新法別表第一の二級の廃疾の状態にあるとの認定を受けて、昭和三一年一月から、新法による障害年金の受給権を得たので、ミツは、鉄治の死亡に伴い、新法五八条四号に基づき、新法による遺族年金の受給権を有していた。

しかるところ、昭和五六年三月二三日、ミツ名義の厚生年金遺族年金裁定請求書と上告人名義の厚生年金保険未支給保険給付請求書とを城東社会保険事務所に提出したところ、右の遺族年金裁定請求については不支給決定がなされ、さらに上告人が、昭和五七年一一月一二日、改めて厚生年金未支給遺族年金裁定請求をなしたのに対しても、不支給裁定がなされた。

しかるに原判決は、「ミツあるいは上告人につき、未支給の遺族年金はないとした前記各決定および裁決は適法であって、何らの違法もないものといわなければならない。」としている。

しかし以上の通り受給権を有するミツあるいは上告人に対する前記決定および裁定は、憲法一四条一項の法の下の平等に違反するのみならず、厚生年金保険法の基盤である憲法二五条第一項の生存権保障の規定にも違反するものといわなければならないのである。

以上

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